
Night Lounge
DJ
Masaki
日本 / 海外と自身のコネクションを通じて最新の音楽情報を入手し、それらの未発表音源などを先頭切ってプレイする事で有名。過去には今はなきFlattでの当時の関西のHouseを代表するParty「EVERY WEDNESDAY NIGHT」、Grand Cafeでの「HOUSE☆FUSION」などでPlayし、海外のDJ (Louie Vega,Kenny Dope,Timmy Regisford,Quentin Harris,Frankie Feliciano,Danny Krivit,Francois K,Joe Claussell,Larry Hard...)などとも同じ舞台での共演経験を持つ。
DJ以外にもDancerとしての道も10年以上のキャリアを持ち、Japan Dance Delghtに出場、ダンスコンテストやバトルでの審査員、バックダンサー、ダンスチームとしては<DETOX><Klub Trance>の一員として関西のHouse Dance Sceneを率いて活躍。近年ではDJとしてニューヨークやシンガポール・アテネなどに招待され活動の幅を広げている。それらのプレイはSound CloudやMixcloudにて定期的に公開し、最新曲のDJmix音源を聞くことができる。

●1992年-神戸にてHouse Dancerとしてのキャリアをスタート●
著名ダンサーであった姉の影響でHouse Danceを始める事をキッカケに、CLUBシーンへと足を踏み入れる事となる。
姉が当時「DJ YUTAKA」や「GM YOSHI」との交流もあり、近くには常にDJ機材がある環境の10代であった。
BLACK MUSICに囲まれ、朝起きるとターンテーブルに触り、夜になるとダンスの練習に明け暮れる日々を過ごす。恵まれた環境ではあったが、姉の存在というものから払拭する為、高校卒業後にHouseダンスチーム「RAW SOUL」を結成。
ダンスを始めて約3年の月日が経った1995年夏、ダンスコンテストに初出場し見事優勝を飾る。そのコンテストが現在でも続いているダンスコンテスト「TRUE SCHOOL」である。どこの誰だか分からないダンサーが優勝した事で当時話題となった。この優勝がターニング・ポイントとなり、当時関西の若手House Dancerの精鋭が集まった「Rythm Holic」を結成する事となる。ダンスショーの依頼が格段に増え、音源にもクオリティーを求めるようになっていったそんなある日の事。Houseダンサーの定番Night Club「Club Flatt」での看板イベント"EVERY WEDNESDAY NIGHT"でDJをしていた「DJ DAISUKE」が音源作成依頼を受け入れてくれる事になる。日常的にDJ DAISUKEのプレイで踊ってはいたが、直にターンテーブルを使ってのテクニックや選曲、突発的な発想能力にDJとして魅了され、自身で音源作成する事に興味を抱く。すなわちDJとして本格的に始動するきっかけとなった。
●DJとしてのキャリアスタート●
ダンスに明け暮れる日々によりターンテーブルに触れる回数は激減していたが、音源作成をキッカケにその回数は激増。音への拘りも向上し、神戸から毎日のように大阪のレコード店に通い詰めるようになる。時には月に100枚以上のレコードを購入し、生活費を「音」へと費やす生活が続いた。そんな矢先、DJ DAISUKEから「Club Flatt "Urban Tracks" でプレイしてみないか?」と声がかかり、正式に「DJ」としてのキャリアスタートとなった。
Club Flattで月1回プレイする中、Grand CafeやUnder Loungeなどでもプレイしながら活動の幅を広げてゆき、Deep Houseの様々なパーティーでDJとしてブッキングされるようになる。音に魅了されるに連れダンサーとしてのスキルも上達し、「TRF」や「SILVA」のバックダンサーも経験。後にはHouseダンサーとして関西のトップレベルまで上り詰めるが、「DJ」としてのスタンスをメインに切り替え始める。時を同じくして、ダンサーとして地元神戸で活躍していた「DJ KUWA」がHouse Partyを立ち上げ、そのメンバーとして声がかかり「Night Lounge」を発足。NYスタイルのソウルフルなHOUSEセットを中心とした、ロングミックスや4デッキを使ったミックスなどを武器に、スキルフルなプレイが定評となり、Night Lounge Styleを確立する。
その後もNYのシーンを追求し続け、渡米回数が増えた中「ある出会い」がまた一つのターニング・ポイントとなる。”TODD TERRY”との出会いである。友人から紹介されスタジオでの収録や食事を共にする機会があり、様々なNYCのDJ(Kenny Dope,Frankie Felicianoなど..)達とのコネクションが増える中で、NYでプレイのチャンスを得る事に成功した。
平日は小さなBARでのプレイスタートであったが、後には"Cielo" "Sullivan Room" "Elevation”といったNight Clubでのプレイも果たす。世界の音楽シーンで"Deep House"が浸透し初めていた中、シンガポールの"Butter Factory"やギリシャの"Paradise Club , Mamacas"などにもブッキングされるなど、海外でも経験を積むようになる。
現在は日本にて ”ジャンルベンディング” なシーンに順応しながらも、Deep House本来の持つ力を拡散するべく多方面で活動中である。